こんなに凄いスタイグのプレイを耳にするのは大きな驚きだ
ジェレミー・スタイグとエディ・ゴメスの、まばゆいばかりにアグレッシブな意気の感じ
られるプレイに圧倒される作品である。スタイグとゴメスが、ピアニストのビル・エバ
ンスと一緒に『ホワッツ・ニュー』をヴァーヴへ吹き込んだのは、1969年のことだった。
以来32年という歳月を経て、ふたりが日本で開いたエバンスへのトリビュート・コンサー
トの模様を収録したのが、このアルバム。選曲は当然のようにエバンスとゆかりの深いも
のばかりだが、この音楽は再演などというレベルをはるかに超えている。プレイの中軸と
なって、奔放なベース・ワークを繰りひろげてみせながらも、要所をぴしっと締めてゆく
ゴメスの、凄みのあるベース・ワーク。これに触発されるかのように、スタイグが過激な
自由さで、フルートを吹きまくる。スタイグのフルートの音色はじつに美しいが、それだ
けにとどまらずにダーティなトーンも駆使し、自信の肉声まで交えながら、大胆な吹奏を
聴かせてくれるのだ。スタイグはフルートを、サックスなどと同じような力強さをもっ
た、ワイルドな表現をおこなうための楽器として扱っている。「ナルディス」「ストレー
ト・ノー・チェイサー」「ファイブ」でのスタイグは、とくに圧巻。その攻撃的なプレイ
は、以前に比べて格段にヒート・アップしている。近年派手な活動ぶりが伝えられなく
なっていただけに、こんなに凄いスタイグのプレイを耳にするのは大きな驚きだ。ほんと
うにびっくりした。 (岡崎正通
) |
大音量で浴びるように聞きたい迫力のライブ
演奏も録音も驚くべき生々しさである。企画としては、ビル・エバンスの最高の異色作
にして名作である『ホワッツ・ニュー』の演奏の再現であり、スタイグとゴメスの再会
セッションということになる。したがって、肝心のエバンスの不在をどう処理するかが重
要な問題となるはずなのだが、実際にはエバンス色はほとんど聞かれない。レパートリー
にエバンスと『ホワッツ・ニュー』の残響が感じられるものの、まずこのセッションで最
高のプレゼンスを放っているのは、ゴメスのベースである。これが本当に驚異の的なの
だ。エバンスとの『モントレー』と『ホワッツ・ニュー』がベーシスト、エディ・ゴメス
の最高傑作であるという考えを変えるつもりはないが、本アルバムのゴメスの力強さはあ
の2作を越える瞬間すらあると思う。いささか荒っぽいなどという非難を軽く跳ねかえす
だけのパワーに満ちているのだ。スタイグのフルートが健在なこともまことに嬉しい。70
歳のジミー・コブのドラミングも健闘しているが、ゴメスとスタイグの強烈な一騎打ちの
前でちょっと霞みがちになるのは致しかたないといえよう。そして、エバンスの不在はも
うどうでもよくなるのである。してみると、あの『ホワッツ・ニュー』の尋常ならざる個
性的な響きは、ゴメスとスタイグが作りだしていたのではないか、という考えさえも湧い
てくる。大音量で浴びるように聞きたい迫力のライブだ。
(中条省平) |
名作『ホワッツ・ニュー』へのオマージュ
岐阜の「スタジオF」でのライブ。スタイグとゴメスと言えばエバンスの『ホワッツ・
ニュー』だ。この作品はそれを意識したものだが、彼らは70年代にも共演作があり、近年
はこのメンバーでよく来日している。従ってこの作品は「再現」ではなく、『ホワッツ・
ニュー』の枠組みを使って彼らの音楽をやった、というもの。お互いを知り尽くした者同
士が、スリリングな音楽のやりとりをするのが最大の聴き所だ。ゴメスがかつての「細か
いフレーズ」から、「ぶっとい音でスイングする」に変わったのが面白い。コブとのコン
ビネーションがその原因なのか。この二人は意外に?よく合っている。僕はこのバンドを
ある地方都市で見たが、その時ゴメスは自分のベースを持参せず(!)、地元のミュージ
シャンの楽器を借りて演奏した。それでも彼の音なのである。「弘法筆を選ばず」だ。そ
してスタイグは正に本領を発揮して、(1)や(4)(5)で過激なまでの完全燃焼を聴かせる。バ
ンドの動力源というべきコブは、相変わらず快適にスイングする。70歳とは全く思えな
い。大御所3人に囲まれたカールソンは実はかなりの使い手で、マッコイ・タイナー流の
モーダルかつパワフルなピアノをガンガン弾く。つまりこのバンドの音楽は「熱さ」「元
気」なのであり、もしかしたら、地方の小さな会場で熱心なファンに囲まれた時の方が、
本領を発揮するのかもしれない。熱気がよく伝わる作品だ。 (中山智広)
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