デューク・ジョーダンと富樫雅彦----- 2人の巨匠の邂逅で生み出された究極のバラード集
ビバップ・ピアノの巨匠デューク・ジョーダンが、ビバップ特有の演奏とは違う、 なめらかな潤いのあるピアノを聴かせてくれるのが『キス・オブ・スペイン』である。 日本ジャズ界の偉大なドラマー、富樫雅彦との共演が功を奏し、ピアノ・トリオの 自然発生的な演奏で、音楽というものに対する純粋な思いを想起させてくれる。 文・高井信成
天才ドラマー、富樫のプレイが大きく影響 果たして、レコーディングは実現された。このアルバムが、通常のビバップ・セッショ ンでないことは、アルバムの最初に登場する富樫の4小節のドラム・ソロを聴けば、すぐ にわかる。このタイトル曲<キス・オブ・スペイン>は、デュークの作曲によるマイナー 調の美しいバラードで、デュークの哀愁をおびたピアノ、富樫の純邦楽のテイストを感じ させる歌うドラム、両者の会話を見守る井野のベースが、特有の音楽世界を形作ってい る。2曲目以降の富樫は、ブラシ中心の演奏だ。ブラシをサーと掃くように回す基本的な ブラシ・ワークと、ブラシによるシンバル・レガートでスイング感を生み出す奏法をみせ ている。富樫のブラシ・プレイは、聴く者の意識を恐ろしいほど集中させる。誇張したた とえになるが、草むらに潜む精悍な動物の気配を感じさせるような緊張感を与えるのであ る。このようなブラシ・プレイが聴けることは滅多にない。これまでクラレンス・ペンの 演奏に近いものを感じたことがあったが、それ以外では思い浮かばない。心の内奥に深く 入り込み、理性を超えて感覚と一体化したものが、音として具現化されているといえばい いだろうか。そして、全体的にブラシ・ワーク中心の展開の中で、富樫が途中でブラシか らスティックに持ち替えてリズムミックな変化を作っているのが、<オール・オブ・ ミー>と<オール・ザ・シングス・ユー・アー>だ。後者はビバップの名演の多いスタン ダード・ナンバーだ。スティックに持ち替えた富樫の演奏が、2拍目と4拍目のアクセン トを意識しているように思われるのも興味深い。ラストの<イフ・ユー・クッド・シー・ ハー>もスティックが使われているが、リズミカルなミュージカル・ナンバーらしく軽快 な展開でこのアルバムは締め括られている。 富樫のドラミングの視点からアルバムの演奏内容をみてきたが、デュークのこのアルバ ムが、数あるデュークのリーダー・アルバムの中でもユニークな異彩を放っているのは、 富樫の演奏が最大の要因になっているからに他ならない。富樫がこのピアノ・トリオの中 でどのような役割を果たしているか、それが大きな試聴ポイントだ。デュークは全編にわ たってバラード調のピアノを聴かせている。ビバップ特有のアーシーなグループではな く、エロール・ガーナーを思わせるような、なめらかな潤いのある演奏である。しかし、 このアルバムにおける最も重要な点は、ピアノ・トリオの自然発生的な演奏が、音楽とい うものに対する純粋な思いを想起させてくれることだと思える。ジャズであること、ビ バップであること、バラードであることなど、それらすべての情報をゼロにした状態で耳 にすることができれば、心に響いてくるものはかなり異なってくるはずだ。もし、彼らに 「このアルバムで表現したかったものは何?」とたずねれば、おそらく「ミュージッ ク!」そのひと言が返ってくるだろう。 思えば、3361*BLACKというレーベルは、ユニークなコンセプトを持つアルバムが多 いという印象を受けるが、それは伊藤プロデューサーの豊かな発想が具現化されたもので あり、それもまた「ミュージック!」のひと言で表現されるものの追求である。同時にそ れはオーディオ面にもあらわれている。このレーベルは名エンジニアの及川公生氏によ る高音質にも定評がある。デュークのこのアルバムはアナログ・レコーディングされてお り、アナログ・レコード盤の音質のよさも当時話題になった。その美しい潤いのある音質 は、CDにおいても大きな魅力になっている。