----- スイングジャーナル2003年10月号より -----

デューク・ジョーダンと富樫雅彦-----
2人の巨匠の邂逅で生み出された究極のバラード集

ビバップ・ピアノの巨匠デューク・ジョーダンが、ビバップ特有の演奏とは違う、
なめらかな潤いのあるピアノを聴かせてくれるのが『キス・オブ・スペイン』である。
日本ジャズ界の偉大なドラマー、富樫雅彦との共演が功を奏し、ピアノ・トリオの
自然発生的な演奏で、音楽というものに対する純粋な思いを想起させてくれる。
                            文・高井信成

 

数あるデュークのリーダー作の中で異彩 を放つ作品
 ジャズ・ピアノの巨匠、デューク・ジョーダンは“ビバップのリビング・レジェンド”
として、ビバップの不滅の魅力を伝える数多くのリーダー・アルバムを約半世紀にわたっ
て録音している。その枚数は約50枚あり、多くがピアノ・トリオによる録音だ。デュー
ク・ジョーダンといえばビバップ、そしてピアノ・トリオである。《名盤蒐集倶楽部》に
選定された3361*BLACKのIt's Jazzレーベルのアルバム『キス・オブ・スペイン』は、
数あるデュークのリーダー・アルバムの中でも異彩を放つ作品である。ピアノ・トリオ編
成であるが、このアルバムはいわゆるビバップ・アルバムとは異なっており、ビバップと
いうジャンルでは括りにくい、バラード・タイプのジャズ・アルバムだ。デュークからビ
バップを超えてピアニストとしての潜在的な魅力を引き出している。
   レコーディングは、1989年5月12〜13日、山中湖の3361*BLACKのスタジオで行
われた。プロデューサーはもちろんレーベルのオーナーでもある伊藤秀治氏。ピアノ・ト
リオのメンバーには、富樫雅彦(ds)と井野信義(b)が起用された。収録曲はデュークの数曲
のオリジナルの他は、スタンダード・ナンバーがとりあげられている。伊藤プロデュー
サーは、アルバムのコンセプトについてライナーノーツに次のように書いている。「ミ
ディアムからスローにかけてのデュークの美しさは格別で、その代表作が『フライト・
トゥ・デンマーク』だと思う。だから『フライト・トゥ〜』を上回るアルバムを作りた
い。その目標を達成させるための最大の要因として(デュークに)伝えたのが、富樫さん
のサポートでした。“ドラムスが美しいピアノをより美しく聴かせるためには”を、最も
よく心得ているのがアーティスト富樫雅彦です」。富樫をドラムに迎えて、バラード・タ
イプのアルバムを作りたいというわけだ。プロデューサーは富樫に会いに行き、趣旨を伝
えると、富樫は「プランは理解できた。でも、2と4が踏めないぞ」と言ったという。2
と4とは、ハイハットで踏み鳴らす2拍目と4拍目のリズムのことだ。事故により車椅子
に身体を固定して長年にわたって演奏活動を続けている富樫は、ビバップらしいリズム・
キープをしなくていいのかどうか懸念したのだろう。伊藤プロデューサーは「もちろん、
問題ありません」と答えている。とても興味深いやりとりだ。しかし、それ以上に興味深
いのは、デュークと富樫がお互いの共演を受け入れたことだ。富樫がビバップ・プロジェ
クト“富樫雅彦&J.J.スピリッツ”の第1弾『プレイズ・ビバップVol.1』を録音して、
ジャズ界をアッと驚かせたのは、このアルバムから2年後のことだった。
 富樫雅彦は、言うまでもなく、日本おけるフリー・ジャズの偉大なるアーティストであ
る。いや、フリー・ジャズというよりも、ジャズを超えて、ドラム&パーカッションのフ
リー・インプロビゼーションによる唯一無二の音楽世界を構築した巨匠といったほうがよ
り正確かもしれない。その輝かしい業績は、1975年度のジャズ・ディスク大賞《金賞》を
獲得したアルバム『スピリチュアル・ネイチャー』をはじめ(ちなみに、同年の《銀賞》
はマイルス・デイビスの『アガルタ』だった)、74年度《日本ジャズ賞》の『ソング・
フォー・マイセルフ』、76年度《日本ジャズ賞》の『ギルド・フォー・ヒューマン・
ミュージック』など、ジャズ・ディスク大賞をふり返ればよくわかる。富樫はドラムとい
う楽器の表現の可能性を予測のつかないほど広げて、あまりにも音楽的な歌う楽器、ある
いは多彩で繊細な表現を可能にした楽器にドラムを変えた。富樫ほどドラムを音楽的に響
かせることのできるアーティストは、歴史的にみても少ないだろう。その演奏の核になっ
ているのがフリー・スピリットである。何ものにもまったくとらわれることなく、真っ白
な無の心がなければ、富樫のような詩情あふれる美しい音楽は、生まれてこなかったと思
える。その富樫が、ビバップの伝説的なピアニストであるデュークとの共演を受け入れた
のだから面白い。もちろん、不慮の事故に遭う前は、富樫は日本のモダン・ジャズ界を代
表する天才ドラマーとして名声を博していた。彼がモダン・ジャズの原点であるビバップ
に再び興味を示したと考えることもできるが、話はそう簡単ではない。思うに、デューク
はデュークで、富樫は富樫で、それぞれにこのセッションに対して直感的に抱いた音楽の
イメージが、近いものであったとみるのが自然だ。ベーシストの井野信義にも同じことが
いえる。井野は富樫が全幅の信頼を寄せており、富樫の音楽を最もよく理解しているベー
シストである。

天才ドラマー、富樫のプレイが大きく影響
 果たして、レコーディングは実現された。このアルバムが、通常のビバップ・セッショ
ンでないことは、アルバムの最初に登場する富樫の4小節のドラム・ソロを聴けば、すぐ
にわかる。このタイトル曲<キス・オブ・スペイン>は、デュークの作曲によるマイナー
調の美しいバラードで、デュークの哀愁をおびたピアノ、富樫の純邦楽のテイストを感じ
させる歌うドラム、両者の会話を見守る井野のベースが、特有の音楽世界を形作ってい
る。2曲目以降の富樫は、ブラシ中心の演奏だ。ブラシをサーと掃くように回す基本的な
ブラシ・ワークと、ブラシによるシンバル・レガートでスイング感を生み出す奏法をみせ
ている。富樫のブラシ・プレイは、聴く者の意識を恐ろしいほど集中させる。誇張したた
とえになるが、草むらに潜む精悍な動物の気配を感じさせるような緊張感を与えるのであ
る。このようなブラシ・プレイが聴けることは滅多にない。これまでクラレンス・ペンの
演奏に近いものを感じたことがあったが、それ以外では思い浮かばない。心の内奥に深く
入り込み、理性を超えて感覚と一体化したものが、音として具現化されているといえばい
いだろうか。そして、全体的にブラシ・ワーク中心の展開の中で、富樫が途中でブラシか
らスティックに持ち替えてリズムミックな変化を作っているのが、<オール・オブ・
ミー>と<オール・ザ・シングス・ユー・アー>だ。後者はビバップの名演の多いスタン
ダード・ナンバーだ。スティックに持ち替えた富樫の演奏が、2拍目と4拍目のアクセン
トを意識しているように思われるのも興味深い。ラストの<イフ・ユー・クッド・シー・
ハー>もスティックが使われているが、リズミカルなミュージカル・ナンバーらしく軽快
な展開でこのアルバムは締め括られている。
 富樫のドラミングの視点からアルバムの演奏内容をみてきたが、デュークのこのアルバ
ムが、数あるデュークのリーダー・アルバムの中でもユニークな異彩を放っているのは、
富樫の演奏が最大の要因になっているからに他ならない。富樫がこのピアノ・トリオの中
でどのような役割を果たしているか、それが大きな試聴ポイントだ。デュークは全編にわ
たってバラード調のピアノを聴かせている。ビバップ特有のアーシーなグループではな
く、エロール・ガーナーを思わせるような、なめらかな潤いのある演奏である。しかし、
このアルバムにおける最も重要な点は、ピアノ・トリオの自然発生的な演奏が、音楽とい
うものに対する純粋な思いを想起させてくれることだと思える。ジャズであること、ビ
バップであること、バラードであることなど、それらすべての情報をゼロにした状態で耳
にすることができれば、心に響いてくるものはかなり異なってくるはずだ。もし、彼らに
「このアルバムで表現したかったものは何?」とたずねれば、おそらく「ミュージッ
ク!」そのひと言が返ってくるだろう。
 思えば、3361*BLACKというレーベルは、ユニークなコンセプトを持つアルバムが多
いという印象を受けるが、それは伊藤プロデューサーの豊かな発想が具現化されたもので
あり、それもまた「ミュージック!」のひと言で表現されるものの追求である。同時にそ
れはオーディオ面にもあらわれている。このレーベルは名エンジニアの及川公生氏によ
る高音質にも定評がある。デュークのこのアルバムはアナログ・レコーディングされてお
り、アナログ・レコード盤の音質のよさも当時話題になった。その美しい潤いのある音質
は、CDにおいても大きな魅力になっている。


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